『3000万語の格差』:最近の研究

文脈と語彙習得

初出は掛札の個人サイト(2015年9月20日)
(『3000万語の格差』を読む以前に書いたものです)

●科学は問題解決のためのツール

 まず初めに少し…。私は心理学という「科学」の片隅にいる人間ですから、「語彙の習得が、将来の子どもの成長を決定する」などと断言する気はまったくありません。科学、特に社会心理学のような科学は、社会の中で観察されている事実の一部をデータとして切り取り、そこにある関係を少しずつ解き、結果を積み上げていく分野です。そもそも、物理学や数学といった基礎科学の一部を除けば、なにかを「証明する」ことなど絶対にできません。「AがBを必ず引き起こす」と、1対1の因果関係を断言することも不可能です。ましてや、子どもの育ちにおいて、「これが決定的要因!」と言うのは、どう考えても間違っています。

*「科学としての心理学」については、『げんき』のこの連載の第2回に書いています(NPOのサイトの「参考文献」のページに飛びます)。

 たとえば、コーヒーはからだに良いのか悪いのか…。毎年、新しい論文が出て、その度に話がコロコロ変わります(その中で事実の分析結果が積み上げられていくのです)。これまで「真(しん)」とみなされていた物理学の法則すら、実証科学の手法が進めば変わっていくのはご存知の通りです。大部分の科学においてデータの分析から言えることは、「このような関係性が示唆された(suggested)」「このような仮説が支持された(supported)」だけです。科学のなんたるかを知っている人であれば、文章や論文を書く時、「~が証明された(proved)」という言葉は絶対に使いません。私自身は、「~が証明されました」とどこかに書いてあったら、それは眉唾だとまず考えます。

 私が書いているこの一連の記事も同じです。「生まれた直後から1対1でていねいに対話をすることが、子どもの語彙習得に影響し、それが感情のコントロールに影響する」という研究結果の蓄積。これは「この方法だけが大事だ」と言っているわけではありません。まして、「母親が家にいて子どもと向き合うべきだ」などと言っているわけでもないのです。「しっかり研究され、分析されてきたデータがこう言っているんだけど、今の日本の子どもたちのためになることがあるかな」と考える材料、そして、日本の子どもたちについてもしっかり研究する必要性を示す材料にしてください、という意味です。

 データとその分析結果がないままにどんなに議論をしても、それは主観のぶつかりあい、つまりケンカに過ぎません。ケンカや勝ち負けのための議論では、永遠に答えは出ませんし、その間、一番肝心な子どもたちは放っておかれたままです。それは、科学の目指すところではないのです。科学は議論のネタではなく、問題を解決するためのツールです(少なくとも私にとっては)。ここで紹介している研究成果も、「現場で使える」「使ってみよう」「同じような研究をしてみたい」と思った方に使っていただきたいと思っています。


●研究:文脈と語彙習得に関係があるか

 今回は、2013年に、Erica A. Cartmillら米国の研究グループが発表した論文です。このグループは、「未就学期の語彙が学童期以降の成績と相関する」というこれまでの研究結果、そして、「語彙は、保護者が乳児期から子どもに話しかけている言葉の数と相関する」という結果(この記事の第1回)などをもとに、次のような研究テーマを立てました。

 「言葉にたくさん曝露することが大事とは言っても、たった一度聞いただけで子どもがその言葉を覚える場合もある。乳児期後半以降になれば、その言葉が発せられた文脈が明確であればあるほど、子どもはその言葉を覚えやすいとわかっているが、もっと小さい時期であっても、同じことは言えるのか?」

 「ほら、シマウマだよ!」と動物園でシマウマを指さしてみせたほうが、「シマウマを見に動物園へ行こう」と言うよりも、子どもは「シマウマ」という言葉を覚えやすい、これが「文脈が明確なほうが、言葉を覚えやすい」ということです。そして、発語できる月齢の子どもであれば、シマウマという言葉を知っているかどうかテストすることもできます。こうした年齢層の子どもについては、「文脈が明確で具体的であるほど、言葉を覚えやすい」ということがさまざまな実験からわかっているのです。

 では、まだ言葉を話さない14~18か月の乳児ではどうでしょうか? この研究グループが考えだした手法は、なかなかおもしろいものです。

1)218人の実験参加者(おとな)がそれぞれ、「言葉を推測するタスク」に取り組みました。実験参加者は、50人の保護者がそれぞれの子どもになにかを話しかけているビデオを見ます。どれも音声は消してあるので、実際になにを言っているかは聞こえません。ビデオの特定のポイントでピー音が鳴り、実験参加者はその時にその保護者が口にしている言葉を推測します。推測の材料は、その時のビデオに移っている物や背景、保護者の動作、表情などだけです。

 推測した言葉が当たっていればいるほど、その時、言葉が発せられた文脈は、ビデオを見ている他人にとって(=子どもにとっても)明確だ、ということになります。たとえば、お皿とスプーンを持って、自分が食べる真似をしながら子どもに話しかけている姿と、お皿とスプーンを子どもの目の前のテープに置いて、なにも持たずに話しかけている姿とを見たら、明らかに前者のほうが「文脈から言葉を推測しやすい」でしょう(この方法は、Human Simulation Paradigm としてよく用いられているようです)。

2)ビデオに映った50人の子どもについて、約3年後(生後54か月)の時に語彙テストをしました(使われたのはPeabody Picnic Vocabulary Test)。


●文脈の豊かさが、3年後の語彙と相関

 この研究の仮説は、「音声のない状態で見ている他人にもなにを言っているかがわかるぐらい明確な文脈で話している、そのような状況で言葉に曝露した子ども(1歳台)は、その後の語彙が多いだろう」というものです。この場合は、「その後」のポイントとして、就学前の54か月の語彙数が使われました。

 この仮説は、データによって明確に支持されました。

 ビデオに映った保護者の言葉が、音声なしの文脈から他人に推測できるかどうかは、50人の保護者で大きく異なったそうです(正確に推測された割合は、5%正解された保護者から38%正解された保護者まで、広範囲にわたった)。つまり、文脈たっぷりの中で子どもに話しかける保護者もいれば、ほとんど文脈がない中で子どもに話しかける保護者もいた、ということです。そして、この時の「言葉の推測しやすさ=文脈情報の豊かさ」が、54か月の時のその子どもの語彙数と統計学的に有意に(=偶然以上の確率で)相関したのです。これは、同じペア(親子)の中で検討されていますから、単なる相関関係ではなく、因果関係が強く示唆されます。

 一方、録画された一定時間内に発語した言葉の数は、保護者によって異なりました。そして、(第1回に書いた通り)発語した数の多い保護者の子どもは、54か月の時の語彙数が多かったのです(こちらも統計学的に有意な相関)。

 こうなると、文脈の明確さと発語数のどちらが、子どもの語彙数に相関しているのかがわかりません。けれども、この点は統計学の手法を用いて簡単に分けることができます。そして、「文脈の明確さ」が子どもの語彙数に及ぼす効果から、保護者の発語数が及ぼす効果のぶんを取り除いても、保護者が話している文脈の明確さがなお、54か月の時のその子どもの語彙数と統計学的に有意に相関したのです。つまり、保護者の発語数を皆同じにしたとしても、その保護者が話している文脈が明確であればあるほど、3年後の子どもの語彙は豊かになったのです。


●文脈豊かに発語するかどうかは、個人の違い

 ちなみに、保護者の社会経済的地位(学歴、年収等)は、文脈の明確さとは相関しませんでした。つまり、学歴が相対的に低い、相対的に貧しい保護者でも、文脈豊かに子どもに話しかける保護者がおり、逆に学歴が相対的に高い、相対的に豊かな保護者でも、文脈をほとんど持たずに子どもに話しかける保護者がいるということです。

 論文の中でこの研究グループ自身、「保護者によって、これほど文脈の明確さがバラバラだとは驚きだった」と書いています。文脈の明確さの個人差が社会経済的地位(貧富、教育等)とは無関係だということは、家庭に絵本やその他のコミュニケーション材料があるか、学習用の教具があるか、保護者に子どもの学習に関する知識があるかといった要因(=貧富の差)と、保護者の文脈の豊かさには関係がないのだろうとも書いています。もちろん、この研究でも(第1回に書いたように)保護者の貧富、学歴等は、54か月の子どもの語彙に相関していました。けれども、その影響とは別に、保護者の個人差として存在する「1歳台の乳児に語りかける時の文脈の豊かさ」が3年後の子どもの語彙に相関しているのです。


●言葉の習得は、単語を覚えることだけではない

 この研究結果をふまえて、日本の保育、子育てを考えてみると…? 保護者や保育者が、豊かな文脈(環境、動作、表情、物)の中で乳児に、幼児に話しかける時間の余裕、人手の余裕、心の余裕が、今の日本社会に確保されているでしょうか?(保護者や保育者の責任だと言っているのではありません。これを確保するのはまず、企業や社会の責任です)。もちろん、テレビやタブレットからも、子どもは言葉を学びます。でも、言葉は単なる「単語」や「単語の集まり」ではありません。その場の感情や人間関係、その言葉が発せられる「今、この時」を反映しているものです。

 タブレットの画面に表示された「イワシ雲」の写真と説明を見て、子どもは形を覚え、「秋の雲」と覚えるかもしれません。でも、空気が日に日に涼しくなっていくのを感じながら、おとなと手をつないでゆっくり歩きながら秋の空を見上げて、「ほら、あれをイワシ雲って言うんだよ。小さい魚がたくさん泳いでいるように見えるでしょう」とおとなが話しかけてくるのを聞くのとでは…? それは「イワシ雲」という言葉、その使い方を知識として覚えるというだけのことではないと、私はこの論文を読んで思ったのです。

 個別具体的な文脈(知覚、感情、人間関係、物など)を通して言葉を学んでいくことは、語彙の習得そのものにとって効果的であるだけでなく、自分の知覚や感情、自分をとりまく人の感情や人との関係を言葉に結びつけるスキルを習得することにもつながるでしょう。とすれば、第1回に紹介したIsaac Petersenたちの研究結果が示しているように、「語彙が少ないことが、行動課題につながる」という点もさらに腑に落ちます。