『3000万語の格差』:最近の研究

語彙と感情コントロール

初出は掛札の個人サイト(2015年7月13日、24日)
(『3000万語の格差』を読む以前に書いたものです)



語彙は知性や学力の話ではない

 語彙の多い少ないは、学力の話ではありません。子どもの(=将来のおとなの)感情/行動コントロールに直接つながるテーマです。

 「小さい子どもは、ひとり言または自分に向けた言葉を使うことで、自分の行動を変えたり、次の行動につなげたりする。(どんな状況でもこれは見られるが)特に子どもにとって難しい状況でよく用いられる」「しっかりした言語スキルを持っていない子どもは、言語スキルが高い子どもに比べると、自分の行動をうまくコントロールすることができず、結果として行動課題を生み出しやすい」、これは米国インディアナ大学の臨床小児心理学者Isaac Petersenの説明です。

 Petersenたちが行った実験(2014年7月に論文発表)では、120人の子どもを対象に、2歳6か月(18か月)、36か月、42か月のそれぞれの時点で、言語理解、会話語彙のほか、自己規制能力(self-regulation。自分で自分の感情や考え、行動をコントロールする、人間にとって重要な能力)を調べるテストもしました。また、保護者を対象に、子どもの行動課題に関するアセスメントも行いました。その結果、言語スキルが自己規制の発達と相関、さらに、自己規制能力が行動課題と相関したのです。

 これは同じ集団の追跡調査ですので、「言語スキル→自己規制能力→行動課題」という因果関係で述べることができます。つまり、「行動課題があるから、言語スキルが伸びない」のではなく、「言語スキルが低いから、自己規制が難しく、行動課題が生まれる」なのです。Petersenたちの実験以前にも、ADHD等の行動課題と低い言語スキルの相関はたくさんの研究の中で指摘されてきたそうですが、行動課題と言語スキルのどちらが先なのか、その因果関係はわかっていませんでした。もちろん、この研究が決定打ではありませんが、言語スキルが先であることを示唆する重要な結果です。

 この実験の意味については、以下の項でくわしく説明します。保育現場にいらっしゃる方の中には、今、「ああ、そうか」と思った方もいるでしょう。現場では今、「行動課題のある子どもが増えている」と言われます。そのひとつの理由が、ゼロ歳児からの対話/会話の少なさなのかもしれません。そして、これから書いていきますが、米国では「1対1の対話/会話を増やし、語彙の増加につなげる」ためのさまざまな介入プログラムが開発・施行され、効果評価も行われています。これは日本でも、今すぐにでもできることです。
(「3歳までの結果」と書いてありますが、その後の言葉の曝露が大事ではないという意味ではありません。あくまでも、最初の実験が3歳までを対象とした、というだけのことです。)


できごとの因果関係を解明する

 2013年に同じグループ、Petersenたちが発表した論文では、一歩手前の結果が示されています。この種の研究(データ分析)がどのように行われているのか、特に、さまざまなできごとの「因果関係」がどのように明らかになっていくのかを説明するのに良い例なので、まず、これを取り上げます。

 過去20年あまりの間に統計処理の手法(と統計処理ソフト)が急発展して、集団の中の個人個人の変化を見たり、個人の集まりとしての集団の変化を見たりすることができるようになった点も、こうした研究が進んでいる背景にあります(私も大学院在学中は「統計処理の技」を使って論文を書きましたが、今はすっかり錆びました。論文を読み解くことはまだできますが…。)

 2013年の論文では、

1)言語能力が、行動の問題に対して独立した影響を与えるか?(=他の要因を介したりせずに影響するか?)という問いと、

2)言語能力と、行動の問題、この2つの向きは?(=因果関係の元にあるのはどちらか?)という問い

を、2つの長期追跡調査データを用いて解いています。1つめの長期追跡調査データを分析して得られた結果が偶然によるものではないことを示すため、まったく別の調査(米国労働統計局が助成している子どもの大規模長期追跡調査*)のデータを使って同じ分析をしたのです。

  * 欧米、特に米国では、人口全体の特徴を反映したサンプルを大規模かつ長期的、または定期的に調べる調査がいくつも行われています。個人情報を削除したデータ(調査項目は非常に多岐にわたっています)は登録すれば自由に使うことができ、さまざまな研究に役立てられています。私も、大学院の統計実習で使いました。

 長期追跡調査1のデータからは、7歳~13歳(585人)の毎年の言語能力テストの結果(学校で実施される標準テストの一部)と、子どもの「注意欠陥-多動傾向」「外面化した問題*(externalizing problem)」を教師と保護者が毎年報告したデータ等が使われました。

  長期追跡調査2のデータからは、4歳~12歳(11,506人)について、隔年、言語能力(読む聞くの能力、receptive vocabulary)を測ったデータと、母親から報告された子どもの行動課題(「注意欠陥-多動」「外面化した問題」)のデータが使われました。

*  外面化した問題:指示に従わない、攻撃性を行動に表す、他人を脅す、といった行動。ケンカやののしり、盗み、物の破壊、放火、家出、未成年の飲酒、衝動的な行動などが具体例。


言語能力が卵、行動課題がニワトリ

 2つの問いに対する答えは、次の通りです。統計学の言葉でまず書いて、それから一般的な言葉で書きます。

1)言語能力と行動課題は、直接、関係している

〔統計学の言葉で書くと…〕

 子どもの言語能力は、その子の行動課題(「注意欠陥-多動」「外面化した問題」)と相関した。性別、人種、社会経済的地位(貧富、保護者の学歴など)、他の分野の成績(算数、読書理解、短期記憶)といった要因、および経年変化する要因の変化が「注意欠陥-多動」「外面化した問題」に与える影響を(統計学的に)取り除いた後も、その相関は消えなかった。

〔上の文章の意味はこういうこと〕

  どちらの調査も、同じ子どもを複数年にわたって追跡しています。そのため、一人ひとりの子どもの変化を分析しつつ、一人ひとりの変化全体を積み上げて、変化の傾向を知り、その変化の傾向自体の強さを知ることができます。さまざまな要因が、変化そのものに与える影響も明らかにできます。

 人種や性別、貧富や保護者の学歴、子どもの他の知能といった要因によって、また、経年変化する要因については経年変化によって、言語能力のレベル、行動課題の程度は明らかに変わります。たとえば、貧困層のほうが言語能力も低く、行動課題が多い、でも、保護者の年収が上がればそれに伴って、子どもの言語能力も上がり、行動課題も…、ということです。そして、もしかすると、言語能力と行動課題は、こうした他の要因を「通じて、見かけ上」、つながっているだけかもしれないのです。

 そこで、統計学的な手法を使って、こういった要因の影響を取り除きました。すると、これらの要因を取り除いた後も、言語能力と行動課題の間には相関がみられたので、この2つ(言語能力レベル、行動課題の程度)には直接、関係があると言えるのです。

 ただ、ここまでの内容なら、たとえば、子どもの言語能力テスト結果1回分と、その時の保護者の行動課題報告の結果1回分を集めて、両者に関係(統計学的な相関関係)があるかどうかを調べることもできます。けれども、これはあくまでも「その時」の相関関係であり、「その集団全体の傾向」でしかありません。因果関係はわかりませんし、一人ひとりの中でどのように相関するかどうかもわからない、その相関がどう変化していくかもわからないのです。

  つまり、「言語能力レベルと行動課題の程度は関係があるけれども、どっちが卵でどっちがニワトリかはわからない」ということで、Petersenたちのこの論文までは、そのような研究しかなかったようです。

 ここで、同じ子どもたちを繰り返しテストし、保護者からも繰り返し報告を受け、それぞれの子どものさまざまな要因の「変化」を調べた長期追跡調査の意味が出てきます。つまり、発達や家族の環境変化といった「変化」そのものを含みこんで、分析することができるからです。子どもを対象とした研究が難しいひとつの理由は、あるできごとが単なる子どもの成長・発達、環境の変化によるものなのか、それとも特定の要因によって引き起こされたものなのかを、切り分けることが容易ではないからです。

 今回のPetersenたちの研究(2013、2014)は、成長・発達、環境の変化といった要因を取り除いた後の結果を見ることができているのです。


 そして、2つめの分析結果が出てきます。

2)因果関係は、「言語能力→行動課題」のほうが強い


〔統計学の言葉で書くと…〕

 当初の行動課題の程度が同じ子どもたちの間で比べた場合、言語能力の点数の高い低いが、1年間の行動課題の「変化の大きさ」を予測する要因となった。この予測の力は逆の方向、つまり、行動課題の程度が1年間の言語能力のレベルの変化を予測する力よりも強かった。よって、因果関係の方向は「言語能力→行動課題」のほうが強いということが示唆された。

〔上の文章の意味はこういうこと〕

  長期追跡調査データですから、一人ひとりの子どもの変化と、その変化に影響を与えている要因を見ることができます。そしてさらに、どの要因がどの変化に、より強く影響しているか、も見ることができます。ポイントは、ここです。ある「変化」や「変化の大きさ」に特定の要因が関わっていると言えれば、それは「因果関係」と言えるからです。

 この分析では、行動課題の程度で子どもたちをグループに分けました。変化のスタートラインを同じにするためです(当初、行動課題の程度が高い子どもたちは、同じ時点で行動課題の程度が低い子どもたちと比べると、1年間の変化がより大きい傾向があるかもしれませんし、逆に小さい傾向があるかもしれません。だから、最初の程度を揃えて分析しなければいけないのです)。

  そして、同じ行動課題の程度の子どもたち(グループ)の中の変化を(統計処理の上で)追っていきます。「言語能力レベルが1年間の行動課題の程度の変化に与える影響」と、「行動課題の程度が1年間の言語能力レベルの変化に与える影響」を見ると、明らかに「言語能力レベルが1年間の行動課題の変化に与える影響」のほうが傾向として強かった、ということです。

  これまでも言われてきた通り、行動課題(「注意欠陥-多動」「外面化した問題」)の程度が強いから、言語能力レベルがあまり上がらないという側面(因果関係の方向)も、分析の中で確かに出てきたのです。けれども、言語能力のレベルが高い子どもでは、「注意欠陥-多動傾向」も「外面化した問題」も(言語能力が低い子どもに比べると)変化が小さく、この側面のほうが前者よりも強かった。よって、「言語スキルのほうが『卵』で、行動課題が『ニワトリ』なのだろう」という結論が引き出されたわけです。


 そして、2014年に発表されたもっと詳しい研究の結果から、この因果関係が正しかろうということになったわけです。もちろん、たった1つ2つの研究結果で結論を出すことはできないとPetersenたちも他の研究者たちも言っていますが、1つめのデータを使って出た結果を、まったく別のデータを用いて再度検証して同じ結果が出ています(*)から、結論にかなり近い、と言うことはできます。

 * この方法をcross-validation と言い、こうした統計学的な研究ではよく用いられます。1つのデータ・セットで得られた結果は、統計学的に有意(=偶然以上の確率で起きた関係)だとわかっても、それでも「今回限りの偶然」かもしれません。だから、類似の、別のデータ・セットを使って同じ分析をしたり(この研究)、あるいは、1つのデータ・セットを2つに分けて、まず半分のデータ・セットで分析し、それを確認するために残り半分のデータ・セットを使ったりもします。