『3000万語の格差』:最近の研究

「手伝いをする子ども」と「注意と動機づけ」


 米国のラジオネットワーク局 National Public Radio の共通テーマ・シリーズ “Goats and Soda”。子どもの発達と家族に関するニュースが時々あり、中には非常に興味深い、かつ役立ちそうなものもありますので、翻訳していきます。まずは2本まとめて。「子どもが手伝いをするようになる方法(いやがらずに)」と、「失われた秘密:子どもの注意力と動機づけ」、実はつながりのある内容で、いずれもMichaeleen Doucleff記者の記事です。「手伝い」には最近放送された続編もありますので、それも近々訳します。お楽しみに。

 訳す速度を優先させているため、翻訳はこなれていません。ご了承ください。


子どもが手伝いをするようになる方法(それも、いやがらずに)

●原文、写真、音声:How To Get Your Kids To Do Chores (Without Resenting It)(2018年6月9日)

 1990年代初めのある日、ユカタン半島(メキシコ)にあるマヤの村に住んでいた心理学者のSuzanne Gaskinsは、7歳と9歳の姉妹と話をしていました。話の中で2人は、とても誇らしげに、自分たちが学校の後にしている家事すべてについて話し始めたのです。「私、自分の服を洗うんだ」と7歳が言うと、姉はさらに誇らしげに「私なんて、自分の服を洗ったあと、弟の服も洗うんだよ」と言いました。

 手伝いに対するこの女の子たちの熱意に驚いたGaskinsは、村の中で子どもたちがどんなふうに過ごしているのかを調べ始めました。まもなくわかったことは、子どもたちが実にたくさん手伝いをしているだけでなく、たいていの場合、子どもたちは言われなくても手伝いをしているということでした。実際、多くの場合、子どもたち自身が考えて手伝っていたのです。「子どもたちは、何か手伝う?とおとなに尋ねていました」。

「お母さん、なんでも手伝うよ」

 過去30年間、Gaskinsと何人かの心理学者たちが、メキシコとグアテマラに住む先住民の家庭にみられる現象を記録してきました。こうした家庭の子どもたちは、家の手伝いを信じられないくらいしているのです。洗濯、炊事、食器を洗う…、たいていは言われなくてもしていました。ごほうびもお小遣いもなく。

 ある研究で、心理学者のBarbara Rogoff(カリフォルニア大学サンタ・クルーズ校教授)たちは、先住民出身のグアダラハラ(メキシコ)の母親たちにインタビューし、6~8歳の子どもたちがどんな手伝いをしているのか、そのうちどのくらいを自主的にしているのかを尋ねました。

 2014年に発表されたこの研究には、私が今まで研究論文の中で読んでもっとも印象に残った言葉が記録されています。たとえば、ある女性の8歳の娘は学校から帰ってくると、「お母さん、なんでも手伝うよ」と言うそうです。そして、「家じゅうのことを自分でし始める」のです。「ある時、母親がとても疲れて仕事から帰り、すぐさまソファに横になると、娘がこう言いました。『お母さん、すごく疲れているみたい。でも、掃除をしなきゃ。私、ラジオをつけて、キッチンをきれいにするから、お母さんはリビングをかたづけて。それで全部、きれいになるでしょ?』」

 メキシコの家庭にとって、手伝いを自主的にすることはとても大切な特徴なので、それを表す「acomedido」という言葉があるくらいです。「この単語には非常に複雑な意味があります」、Rogoffと共同研究をしているAndrew Coppens(ニューハンプシャー大学教育学)は言っています。「言われたことをするという意味でなく、単に『手伝う』という意味でもない。注意を払っているから、今、その状況の中でどんな手伝いをするべきなのかがわかっている、という意味の言葉です」。

 この現象は、メキシコの子どもたちだけに見られるものではありません。米国に移ってきても、先住民の方法は受け継がれます。数年前、Coppensたちはワトソンヴィル(カリフォルニア)に住むメキシコ系米国人の母親たちと、シリコンバレーに住むヨーロッパ系の中流家庭の母親たちにインタビューをしました。もちろん、それぞれの家庭でさまざまな違いはありましたが、文化のパターンははっきりしていました。「メキシコ系米国人の子ども(6~7歳)は、ヨーロッパ系の子どもの約2倍、手伝いをしていました」「それも、ずっとずっとずっと自主的に」。

幼児の不思議

 では、この親たちが隠し持っている秘密は何なのでしょうか? 驚くかもしれませんが、どの研究者たちもが口をそろえて「これが鍵だ」というのはひとつ:幼児が持っている力を活かすこと。そうです、私たちの文化の中では「恐るべき」(※)と言われこそすれ、「役に立つ」と言われることはまずない1~3歳の子どもの話をしているのです。

(※英語では、terrible toddler〔恐るべき幼児〕またはterrible two〔恐怖の2歳児〕と言う。日本語の「いやいや期」と同種の意味合い。)

 世界を見ると、エクアドルの採集狩猟民であれ、ヒマラヤの遊牧民であれ、シリコンバレーのソフト開発者であれ、その子どもたちには共通点があります。ひとつはかんしゃく。これは、どこに住んでいようと避けがたい、子どもの共通点です。

 けれども、もうひとつの共通点はもっと前向きです。「幼児たちは手伝いたくてしょうがないのです」、世界中にあまねく見られるこの現象に関する書籍を出版したDavid Lancy(ユタ州立大学の文化人類学者)は言います(※)。幼児は、「生まれついての助手(アシスタント)」なのです。台所の床掃除に助けが必要? お皿をゆすぐ? 卵を割る? 心配無用、「幼児のお手伝い商会」があなたのもとにすぐ駆けつけます。

(※未邦訳『助手、労働者、職人としての子ども:文化人類学の視点』、Anthropology Perspectives on Children as Helpers, Workers, Artisans, and Laborers, 2017年)

 ある研究によると、生後20か月児も新しいおもちゃで遊ぶのをやめて、部屋の反対側にいるおとなが床から物を拾うのを手伝ったのです。小さな作業、たとえば落ち葉を掃くようなことであっても、子どもには自信と達成感につながります。鍵は、その作業が家庭にとって本当に役に立つことであること。「仕事の真似」ではダメなのです。そして、子どもたちは報酬を必要としません。実際、同じ研究によると、手伝いをした後におもちゃをもらった子どもは、2度めの時、(おもちゃをあげなかった子どもより)手伝いをしませんでした。「子どもは、手伝いたいという内在的な動機を持っているようです」とこの研究をしたFelix WarnekenとMichael Tomaselloは結論づけています。「報酬をもらうことは、子どもたちの動機を下げてしまうらしいのです。」

 なぜ、手伝いたいという内的な動機を子どもが持っているのか、そして、なぜ、報酬がその動機を下げてしまうのか、はっきりした理由はまだわかりません。けれども、グアダラハラ(メキシコ)のITESO大学の心理学者Rebeca Mejia-Arauzは、家族に関わりたいという、子どもが持っている強い欲動が理由のひとつではないかと指摘しています。「ここが鍵だと私は思います。家族と一緒に何かをすることで、子どもは幸せを感じ、それが子どもの感情的な発達にとっては重要です。子どもたちは母親やきょうだいがしていることを見て、自分もしたいと思うのです。」

今日は散らかすだけの幼児が、後には手伝ってくれる子どもに?

 幼児は手伝いたい、それはわかりました。でも、現実にも目を向けましょう。まず、子どもたちができることはとても限られています。何をしてもまだうまくできず、すぐ気がそれ、怒り出しさえします。幼児が手伝い始めれば、作業は遅くなり、それどころかかえって散らかるだけです。だから、西洋文化の多くの親は、幼児の「手伝いたい」という申し出を断るのだと、Rebeca Mejia-Arauzは言います。「母親たちは『これをとにかく早く終わらせたいし、幼児が手伝おうとすれば散らかすだけ。だから、子どもにさせるより自分でします』と言います。」

 多くの場合、西欧文化の母親たちは自分が家事をしている間、幼児にはどこかで遊んできて、と言います。でも、(中南米の)先住文化の母親たちは、まったく逆のことをするとMejia-Arauzは言います。先住文化の母親たちはまず、自分たちがしている家事の様子をできる限り、子どもに見せます。「母親たちは子どもたちを呼んで、たとえば『こっちへおいで。私が皿を洗うのを手伝って』と言うのです」。そして、子どもが手伝いたがったら、たとえそれで家事が遅くなったり母親が後でやり直さなければならなくなったりしたとしても、母親は喜んで、させるのです。「ある母はこう話していました。『うちの子が皿を洗えば、最初のうちはそこらじゅうが水でびしゃびしゃになってしまいます。でも、私は息子に皿を洗ってもらいます。そうやって彼は学ぶのですから』。」

 この母親たちは、手伝いをさせることを投資とみなしているとMejia-Arauzは言います。お皿を洗いたくてしょうがない、でもやらせればじょうずにできない幼児。でも、この男の子も時間が経てば、皿洗いがじょうずな、そして手伝いたいと思う7歳に育つのです。この仮説は研究によって支持されていると、Andrew Coppens(ニューハンプシャー大学)は言います。「幼少期、親に協力する経験をすることで、家事を自主的に手伝う子どもに育っていく可能性が高くなります。」

 逆に言えば、こういうことです。あなたが子どもに向かって「やめて。あなたはやらなくていいから」と何度も言っていれば、子どもたちはあなたが言っていることを信じてしまうようになるのです。

米国の中流階級の子どもたちは?

 文化は、複雑にからみあったひとかたまりのものです。ある文化のペアレンティング法が、他の文化にそのままあてはまるということはないでしょう。それはフュージョン料理のようなものです。オアハカのビーフ・シチューの材料を持ってきてニュー・イングランド・チャウダーに足せば、それだけでずっとおいしくなるというものではありません。

 それがわかったうえで、米国の親はメキシコのペアレンティング法から有用な部分を拝借して、手伝いをする子どもを育てることができるとDavid Lancy(ユタ州立大学)は言います。「もちろん、できます。実際、幼児や子どもたちが手伝おうとしている時にやらせないことで、私たちおとなは子どもにとって悪いことをしているとすら思います。でも、メキシコ流の方法をそのまま米国ですることは容易ではないでしょう。簡単な話ではないのです。まず、おとなは自分たちがしていることを、もっとゆっくりとするようにしなければなりません。余裕を持たなければならないのです。」

 そして、子どもが小さい時から始めます。できる限り早くから。

1. できる限りたくさんの家事を子どもに見せ、させる

 料理をしている様子、洗濯をしている様子、犬の散歩の様子を(子どもが小さい時から)見せる。電球を替える、種をまく、ベッドを整えるといったことを手伝わせる。将来、手伝ってほしいと思うことすべてについて、子どもの目にするようにします。「特に、子どもが小さい時は、子どもがおとなのまわりにいて、おとなが何をしているのかを見る機会を与えましょう」(Coppens)。ただ「見るだけ」で幼児や子どもたちがどれほどのことを学んでいるか、あなたは驚くはずです。指示も説明も要らないのです。

 おとながしていることを見ることは、家事は社会的な活動であると幼い子どもたちが学ぶことにもつながります。家族と一緒に家事をし、家族の一部である機会、それは小さい子どもが心から欲していることです。そうすると、子どもたちは、家事を楽しい、前向きのことだととらえていくようになります。「心理的に家族の一員となっていくことは、力を合わせて何かをするということを子どもが学ぶうえで、発達面におけるとても強力な要因のようです」(Coppens)。

2. 小さな家事が、大きな貢献に

 あなたがしている家事を子どもが手伝えるようにしてみてください。子どものスキルに合った作業をさせてみましょう。粉を測るためにカップをおさえていることかもしれません、床掃除をしている時に椅子を動かすことかもしれません、皿を1枚か2枚、拭くことかもしれません。Coppensによると、この時の鍵は、どんなにささいな作業であっても、それが本当に役立つ家事の一部だという点です。「家事のまね」ではダメですし、実際の家事とは無関係な行動でもダメです。それでは、共通のゴールに向けて力を合わせるということにならないからです。

 「私たちが行った研究の中で、ヨーロッパ系中流階級の家庭が複数、幼児に『仕事のまね』の作業をさせていると言ったのです」(Coppens)。たとえば、母親がキッチンの床を掃除した後に、子どもにほうきを渡し、『もう一度掃く』よう頼んだのです。「子どものしていることは役に立っていないと親はわかっていました。結果、それほど時間が経たないうちに、子どもも親の考えを理解したのです」。そして、子どもは本当に役立っているという気持ちから生まれる自信と達成感を失いました。

3. いつも、「一緒にする」

 小さい子どもにとって大きな動機づけは、家族と一緒にいて、同じゴールに向かって何かをすることです。家事をバラバラに分けて家族がそれぞれに分担して違うことをしていたり、子どもに家事のまねを与えたりすれば、この動機づけは失われます。ですから、たとえば、洗濯であれば、みんなでみんなの服をたたむようにしましょう。子どもが自分の服をたたみ、親が親の服をたたむのでは、それぞれが個別に働くという形になってしまうのです。

4. 無理強いしない

 「マヤの家庭のように子どもたちに家事をさせるには、親が子どもをとてもうまく管理しなければいけないのではないかと考える人たちがいます」(Rogoff)。けれども、実は反対なのです。「目的は子どもを管理することではなく、子ども自身が自分でできるように育てていくことです」。だから、先住民の親たちは子どもに手伝いを強要したりしません。そうではなく、子どもが興味を持った時に、子どもを励まし、手伝うチャンスを与えるのです。

 Rogoffによれば、子どもに手伝いを強要することは逆効果だそうです。抵抗を生んでしまいかねないからです。「おとな同様、子どもも上から命令されるのが嫌いです。『私と一緒にこれをしてくれる?』と言うほうが、『これをしなさい』と言うよりずっと、子どもを手伝いに巻き込みやすいのです」。どう言ったらいいかわからない時は、協力を求めるように言いましょう。「『一緒に、これをしよう』と言えば、『あなたにこれをしてほしい』と言うよりずっと、子どもの興味をひき、子どもがうれしい気持ちになるでしょう」。

5. 小さい子どもに対するあなたの心の枠組み(マインドセット)を変えましょう

 米国では、子どもというのは遊びたがっているだけと思いがちだとCoppensは言います。でも、先住民の母親たちは、幼児が近寄ってくるということは、手伝いたい気持ちの表れなのだと考えます。このように考え方(マインドセット)を少し変えることで、幼児が家事をしたがった時に、親がどう応えるかが変わります。「親は誰でも、自分の子どもの育ちを支えていきたいと思っています。だから、子どもは遊びたがっているのだとあなたが考えているのであれば、家事を終わらせようとしている間、子どもがそこにいないようにする方法をみつけるでしょう。」

 そうすると、子どもはおとながしている活動から切り離され、おとなのまわりにいて家事を学ぶこと、協力して何かをする方法を学ぶことができません。「そうではなく、幼児というのはおとなの手伝いをしたいものなのだとあなたが考え、でも、子どもはどうやって手伝えばいいかをよくわかっていないのだとわかれば、あなたは、子どもが手伝える方法をみつけようとするでしょう」、Coppensは付け加えました、「あなたは子どもが手伝うのを、手伝うのです」。

 この「手伝い」は、年を経るごとに複雑になっていきます。そして、ケーキ・ミックスを混ぜていた2歳児は、家族の朝ごはんを作る6歳になるかもしれません。そして、子ども自身はそれをとんでもなくうれしく、誇らしく感じることでしょう。



失われた秘密:子どもの注意力と動機づけ

●原文、写真、音声:A Lost Secret: How To Get Kids To Pay Attention(2018年6月21日)

 15年前、心理学者のBarbara RogoffとMaricela Correa-Chavezが簡単な実験をしました。子どもはどれくらいの時間、ものごとに注意を向け(続け)るか、それも注意を向ける必要がない時に注意を向けるかを知ろうとしたのです(※)。5歳から11歳の子どもを2人ずつ実験室に入れ、それぞれのテーブルに座ってもらいます。そして、研究助手が一人の子どもに、おもちゃの作り方を教え始めます。もう一人の子どもは、待っているように言われます。「ここに座ってて。数分経ったら、今度はあなたが折り紙でこの『跳ぶネズミ』を作る番だから」、待っている子どもが後ですると言われたことは、すでにもう一人の子どもがしていることとはまったく違います。

(※pay attentionを「集中力」「集中する」と訳したほうが言葉の通りはよいのかもしれませんが、「集中」と言うと「注意を向ける」以上のニュアンス、たとえば「没頭」「夢中」「熱中」といったニュアンスが加わってしまうので、ここでは「注意を向ける」という直訳を用いています。)

 RogoffとCorrea-Chavezの関心は、「待っている子ども」の行動でした。待っている子どもは、別の子どもに教えている研究助手に注意を向ける? それとも一人で遊んでいる? 2人は、異なる文化背景を持つ子ども約80人を対象にこの実験を繰り返しました。片方の集団はカリフォルニア在住の白人中流階級の子どもたち、もう片方はこの研究室がずっと調べている、グアテマラに住むマヤの子どもたち。

 2つの集団の違いは火を見るより明らかでした。米国人の子どもたちの多くは、椅子にだらりと座り、床を見たり、壁に貼ってあるポスターを見たりしていました。一人の男の子はテーブルの上のおもちゃを爆弾に見立てて、爆発音のような声を出し始めました。「この子は手を上に挙げて、『爆発するよ!』と言っていました」(Rogoff)。

 一方、マヤの子どもたちは、米国人の子どもたちよりも注意を向ける傾向がありました。何人かはまっすぐ椅子に座り、もう一人の子どもにおもちゃの作り方を教えている研究助手をじっと見ていたのです。この子どもたちがずっと注意を向け続けていた時間は、(平均で)待ち時間のうちの3分の2。米国人の子どもたちが注意を向け続けた時間は、マヤの子どもたちのちょうど半分でした。

 なぜ、こんな違いが生まれたのでしょう? 以前の記事(上に訳した記事)でお伝えした通り、マヤの子どもたちはとても小さい時から、家族がしていることを見ているよう促され、そうすることで家事のしかたを覚え、家族と力を合わせて働く方法を学んでいます。けれども、Rogoffや他のマヤ文化研究者は、それ以上のことがあると考えています。この先住民族の子どもたちの多くは、米国の子どもたちが失ってしまった何かを持っていると考えているのです。

「注意」とは何か?

 米国では、注意を向け(続け)ることに関して、子どもの現状を心配する声が大きくなっています。米国の場合、子どもが注意を向け続ける時間(=集中力の持続時間)は短くなっているのです。でも、これが注意を向ける力の問題ではなく、注意の引き金になる別のものの問題だとしたら?

 「注意」というのは、扱いにくい対象です。たとえば、顔を認識する能力や視覚といった他の脳の機能とは異なり、ある作業に集中してじゃまな刺激を無視する能力(=注意力)をコントロールする場所は、脳の決まった箇所にあるわけではないのです。「私たちが何かに注意を向けている時には、脳内の数百もの異なった場所がお互いにやりとりし、相互作用しながら働いています」(脳神経学者のMonica Rosenberg、イェール大学)。

 そして、この複雑な脳のプロセスを一人ひとりがどれくらいうまく使いこなせているかを測るとなると、まだまだ議論の多い分野だとMike EstermanとJoe DeGutis(ボストン大学「注意と学習研究室」)は言います。2人は何年もの間、注意を向け(続け)る能力を測る方法を開発してきました。少なくとも、2人が「これが『注意を向ける能力』だ」と考えたものを計測してきたのです。「たとえば大学生を対象にして、実験室でコンピュータを使った実験をし、実験中に何回、注意が途切れるかを調べました。」

 たとえば、スクリーン上で被験者に次々と画像を見せ、「都市の画像が出てきたらボタンを押してください」と指示します。「そして、都市の画像を何枚も見せます。被験者は慣れて、ボタンを押し続けていきます。都市、都市、都市…、突然、山の画像が出てきます。ここでしなければいけないのは、ボタン押しを止めることです」。あなたの脳がぼんやりしていたら、山の画像を見ても間違ってボタンを押してしまうでしょう。そして、このような間違いを繰り返すのであれば、それは注意を向け(続け)る能力が良くないということだ、そうEstermanとDeGutisたちは考えたのです。

 けれども、数年前、2人はこの実験を少しだけ変えました。新しい実験では、実験開始前、大学生の被験者たちはこう言われます。「実験結果が良ければ、早く終わって帰れます」。つまり、実験のボランティア被験者たちは、注意を向け(続け)るための動機づけを与えられたのです。結果は驚くものでした。「この動機づけがあるだけで、注意を向け続ける能力が50%以上も上がったのです。この違いにはとても驚きました」(Esterman)。

 EstermanとDeGutisの一連の研究から、動機づけがある時には脳の働きかた自体も違うことがわかっています。早く実験を終わらせようという動機づけを被験者が持っている時には、注意をコントロールする部位の血流が実験の間じゅう、より活発なのです。反対に、動機づけがない時には、同じ部位の血流は活発になったり、おさまったりしていました。

 人によっては、この動機づけというものが、その人自身が持っている注意の能力と同じぐらい重要かもしれないとEstermanは言います。「(実験中に)その人がどれくらいの動機づけを持っているか(やる気になっているか)を測らなければ、その人が持っている真の注意の能力を測っていることにはならないのかもしれない」、Estermanのこの言葉にDeGutisも同意しています。「注意を向け続けようとする動機づけ(やる気)と、注意を向け続けること自体を切り離すのは難しいという事実に、私たちは気づいたのです。動機づけの部分にも目を向けなかったら、注意というものの大事な部分を見失ってしまっていることになります。」

「もちろん、自分ひとりで買い物に行けますよ」

 とすると、マヤの子どもたちが、折り紙/おもちゃ実験で米国の子どもたちよりもずっと注意を向け(続け)ていたのは、マヤの子どもたちの注意持続時間が長いからではなく、マヤの子どもたちは注意を向け(続け)る動機づけが高かったからなのかもしれません。マヤの親たちは、言われなくても子どもたちが「注意を向けよう」と思うように育てているのでしょう。

 マヤのペアレンティングを直接見るため、私は、ユカタン半島(メキシコ)にあるマヤの村に行き、Maria Tun Burgosさんの家を訪れました。研究者たちは、この村人を何年も研究しているのです。暖かな4月の午後、Tun Burgosさんは裏庭の鶏に餌をやっていました。彼女の3人の娘も一緒にいて、それぞれに好きなことをしていました。

 12歳の長女Angelaは、囲いから逃げ出したヒヨコを追いかけています。次女のGelmy(9歳)は隣の家の子どもたちと一緒になって庭から出たり入ったりしていました。一日のほとんど時間、Gelmyがどこにいるのか、誰も知りません。そして、末娘の4歳のAlexaは木に登っていました。「私だけで登ったの、お母さんの助けなしで」と、この小さな冒険家はうれしそうです。

 この3人の女の子たちは、いまや米国の子どもたちが失ってしまったものを持っていると、私はすぐに気づきました。この子たちが持っているもの、それは、とてつもなく大きな自由、です。何をするか、どこへ行くか、誰と一緒に何をし、どこに行くかを決める自由。つまり、この子どもたちは、自分が何に注意を向けるかを決める自由を持っているのです。4歳児であっても、一人で家から出ることができると母親は言います。「Alexaは卵やトマトを買いに一人で行けます。道もわかっているし、車に気をつける方法も知っています。」

 子どもたちは庭で遊んでいるだけではありません。すべきこともあります。学校へ行き、放課後の活動もし、家事もたくさんたくさんします。私がいる間に、12歳のAngelaは言われもしないのに皿を洗い、妹たちの世話をしていました。

 することはたくさんあるものの、スケジュールと内容を決める自由は、かなりの部分、子どもたちに任されていると、この村の子どもたちを何十年にもわたって研究してきた心理学者のSuzanne Gaskins(ノースイースタン・イリノイ大学)は言います。「母親が決めるのではなく、あるいは、おとなが指示をしてご褒美をあげるのではなく、その子ども自身が自分のすること、目標を決めるのです。そして、子どもがどの程度できるにしても、親はその目標到達を助けるのです。」

 この親たちは意図的に、子どもたちに自己決定と自由を与えている、なぜなら子どもを動機づける(子どもをやる気にさせる)にはそれが一番良い方法だと信じているから、とGaskinsは言います。「子どもは一人ひとり、自分がしたいことを一番よく知っていると、この親たちはとても強く信じています。そして、子どもがしようと思った時だけ、目標は達成される(=することをする)ものだとも信じているのです」。だから、家族の助けをしたいと思った時に、子どもたちは手伝いをするわけです。

 この戦略によって、マヤの子どもたちは注意を向け(続け)る方法も学びます。「これに注意を向け(続け)なさい」と、おとなに言われるのをいつも待つ代わりに。「米国の子どもたちの中には、おとなから指示を受け続けてきたがために、自分自身の注意(の向け方、向ける方法)をコントロールすること自体、あきらめてしまっている子どもがいるのかもしれません」(Rogoff)。マヤの母親たちは大事なところをおさえているようです。実際、マヤの母親たちは、動機づけのプロなのです。

子どもたちを動機づける:マヤの方法

 人間が注意を向けている間、脳に何が起きているか、脳科学者たちが解明し始めたのは最近の話ですが、心理学の分野はすでに、子どもたちを動機づけるために何が必要か、かなりよくわかっています。この分野で50年以上研究してきたEdward Deci(ロチェスター大学)は、子どもを動機づける最も重要なカギは何だと言うでしょう? それは、「自主性(自立性)です。やる気と、自分で選んだという感覚を100%持って、子どもが何かをすること」。

 おとなが子どもの自主性(自律性)を促すことで、学ぼう、挑戦に挑もう、注意を向け(続け)ようとする子どもの動機を刺激する、これはたくさんの研究から明らかになっています。ところが、ここ数十年の間に、私たちの文化の中には逆の方向へ向かっている部分もあるとDeciは言います。子どもから自主性(自律性)を奪い始めている…、特に学校で。「米国が学校システムの中でしてきたことのひとつは、子どもの自主性を伸ばすのではなく、逆にどんどんコントロールしようという方向です」。そして、学校に自主性(自律性)がないことで、注意を向け(続け)る能力が子どもに育たないとも。「間違いはありません。進級や進学のための重要なテストはすべて、動機づけにとっても、注意(集中力)にとっても、学びにとってもマイナスな結果をもたらしています。」

 とはいえ、米国の親の大部分は、マヤのような方法で子どもを動機づける方向に向かえないでしょう。たとえば、米国では、マヤの村のように子どもに自主性(自律性)を与えることは実際的ではありませんし、安全でもありません。けれども、米国でもできることがあると、Estermanは言います。手始めに、「別のことをしなくていいとしたら、何をしたい?」と子どもに聞いてみましょう。「そうすると、これをしなさいとおとなから言われない状況の中で、その子が本当に動機づけられる(やる気になる)ことは何なのか、その子が認知的な力を注ぎこんで取り組みたいことは何なのか、あなたにもわかってくるでしょう」(Esterman)。

 そして、その「何か」、子どもが本当にしたいことをできる時間を(子どものために)つくるのです。「自分の娘については、それが彼女の『情熱』のようなものだと考えてきました。娘がしたいことをサポートし、伸ばすのが自分の役割だと」。それが「子どもにとっては最も大切なもの」(Esterman)。つまり、その子どもが楽しいと思う何か、そして、その子どもの注意能力を育てる何かです。

 

(要訳、解説:掛札逸美。2018年9月4日)