『3000万語の格差』:最近の研究

子どもの周囲の話し声に効果はある?


「言葉を学ぶ効果的な方法と言えるものは何?」
(子どもに向けられた言葉と、子どもが耳にした言葉の効果の違い)


(2013年に出た研究論文、"What counts as effective input for word learning?" の要訳です。Shneidman,L.A., Arroyo,M.E., Levine,S.C., & Goldin-Meadow,S., Journal of Child Language, 2013, 40(3):672-686.)

(ややこしい所を読みたくない方は、「背景」「対象」「方法」の後、「まとめ」に飛んでください。)


背景

 周囲で話されている言葉からも子どもが言葉を学ぶことは、実験からわかっています。たとえば、1歳6か月の子どもの場合、設定が十分に単純であれば、周囲の言葉から新しいモノの名前を学ぶことができます(「設定が十分に単純」=その名前が周囲で言われた直後に子どもにテストをした場合)。2歳6か月になれば、子どもは周囲で聞こえる言葉から学ぶことができるようになるという実験結果もあります。

 けれども、これらの実験では、子どもが向けている注意の方向自体がかなり狭められています。たとえば、自然な環境にもっと近い状態を作り出すため、子どもにおもちゃを与えて(子どもの注意がおもちゃに向く)同様の実験をした場合、2歳児が新しいモノの名前を覚えられるのは、周囲で話される言葉が、子どもに直接話す時のような高いピッチ(音程)の声の時だけだということがわかっています。

 これまで、子どもに直接向けられたのではない言葉が、子どもの言葉の発達にどれだけの効果を及ぼすかを調べた研究はありません。そこで、この研究では、子どものまわりに複数の話し手がいる家庭と、子どもが一人の保護者(主にケアをする人)と過ごすことが大部分の家庭とで、子どもが聞く言葉の数を調べ、その数と子どもの言葉の学びの間の関係を調べました。

 2歳6か月の子どもを対象にした理由は(上に書いてある通り)、2歳6か月になれば、周囲の言葉からでも学ぶことができる能力を有するようだと、これまでの研究が示しているからです。また、この子どもたちの語彙(理解している言葉の数、receptive vocubrary)を3歳6か月の時点で調べた理由は、これまでの研究から、幼い子どもの時期の保護者の言葉が1年後の子どもの言葉理解に影響を与えるとわかっているからです。


対象

 英語だけを話し、該当する月齢の子どもがいる30家族が対象。1歳2か月から3歳6か月までの、言葉の発達を検討する長期追跡研究に参加している65家族(シカゴ在住)の中から、子どもの周囲にいる家族の数が両極端(多い、少ない)の家庭を選択。観察方法は、4か月に1度、90分ずつ、計8回のビデオ撮影です。

 「複数話し手」グループが15家族(対象児は男児5、女児10)、「単数話し手」グループが15家族(7男児と8女児)。8回のビデオ撮影を総合すると、「複数話し手」群の子どもは全体の83%(標準偏差SD=14%)の時間、1人以上の話し手がいる環境におり、「単数話し手」群の子どもは30%(SD=18%)の時間、一人以上の話し手がいる環境でした(2群の差は統計学的に有意)。観察時間中、子どもの周囲にいた話し手の数は、「複数話し手」群は平均2.4人(SD=0.49)、「単数話し手」群は1.4人(SD=0.29)でした(2群の差は統計学的に有意)。この研究の対象となった2歳6か月時の訪問の時、子どもの周囲にいた話し手の数は、「複数話し手」群で平均2.8人(2~5人)、「単数話し手」群ではすべて1人のみでした。

 「複数話し手」群の子どものうち10人は兄弟姉妹(1~5人。すべて年上)がおり、2人の子どもは父母の両方が常に家庭におり、2人の子どもは複数の親戚が家庭におり、1人の子どもは母親とそのルームメートが家庭にいました。「単数話し手」群のこどものうち5人は年上の兄弟姉妹がそれぞれ1人ずつおり、この子どもたち、他の子どもたちの中にも他の家族がいます。しかし、こちらの群では、他の家族はいずれも仕事か学校で日中は家におらず、結果、子どもと長い時間を過ごすのは一人の保護者でした。主たる保護者の学歴は、いずれの群も多様で、高校卒業から大学以上の学歴まで。民族と収入の分布は2群でほぼ同じ。


方法

 2歳6か月(範囲は2歳6か月~7か月)時に実験担当者が90分、家庭に入り、対象となる子どもを撮影。子どもが3歳6か月(範囲は3歳5か月~7か月)の時点で、子どもにピーボディ絵画語彙テストを実施し、語彙を調べました。

 2歳6か月の訪問時点で子どもが話した言葉、周囲が話した言葉をすべてビデオ映像から文字に起こし、「子どもに向けられた言葉」と「子どもが耳にした周囲の言葉」に分類。子どもを含む複数の人に向けられた言葉は「子どもに向けられた言葉」として分類。さらに、誰が発した言葉かによって、「主たる保護者から発せられた言葉」「子ども(13歳以下)から発せられた言葉」「他のおとなから発せられた言葉」にも分類。電話の声、ひとり言、ペットに向けた言葉は、これまでの研究結果から不適当とみなし、検討に含みませんでした。

 言葉すべての数(重複する単語もすべて数えた数)と、単語の数(重複を取り除いた後の単語数)について、「主たる保護者から子どもに向けられた言葉」「主たる保護者以外から子どもに向けられた言葉」「子どもの周囲で話された言葉」に分類。ここで「主たる保護者」とは保護者自身の申告によるものです。ただし、2つの家庭は「主たる保護者は2人」と言ったため、結果、言葉の数が多いほうを主たる保護者としました。「単数話し手」群では1人の父親以外、すべて母親が主たる保護者で、「複数話し手」群ではすべて母親が主たる保護者でした。


結果:子どもの言葉の数

 2歳6か月の子どもが発した言葉すべての数(単語の重複含む)は、2つのグループで統計学的有意差がみられませんでした。「複数話し手」群の子どもは平均1534語(SD=567)、「単数話し手」群の子どもは平均1479語(SD=1175)。子どもが発した単語の数(単語の重複なし)は「複数」群で平均222語(SD=67)、「単数」群で平均208(SD=113)と、こちらも統計学的有意差は見られませんでした。

 また、3歳6か月時点の子どもの語彙数にも統計学的有意差は見られませんでした。「複数」群の子どもの語彙は103語(SD=19)、「単数」群の子どもの語彙は107語(SD=17)。

(訳注:標準偏差SDは、平均値の周辺にどれだけ個別の数値がばらついているかを示します。平均値のごく近くにすべての家庭の値が密集しているのか、個別の値はものすごくばらばらなのか。それによって「統計学的に違いがあるかどうか=違いに意味があるかどうか」が大きく変わるからです。)

(訳注:ここのまとめ。2歳6か月時の子どもの言葉の数、3歳6か月時の子どもの語彙の数は、平均値として「複数話し手」「単数話し手」のグループの間で違いはみられませんでした。けれども、30家庭の中でばらつきはかなりあり、そのばらつきが以下の検討にとって必要な材料となります。)


結果:言葉環境

 「単数話し手」群で90分間に主たる保護者が発した言葉は、すべて子どもに向けられていました。一方、「複数話し手」群で子どもに向けられた言葉は言葉全体の69%(SD=15%)でした。「複数話し手」群の子どもに向けられたこの言葉のうち、76%(SD=22%)は主たる保護者から、17%(SD=24%)は他のおとなから、7%(SD=11%)は13歳以下の子どもからでした。

 「複数話し手」群の言葉で、子どもの周囲で話された言葉(全体の31%。SD=15%)のうち、51%(SD=15%)は主たる保護者、33%(SD=27%)は他のおとな、16%(SD=20%)は他の子どもから発せられたものでした。

 3歳6か月の時の語彙テストの結果をみると、子どもがまわりで耳にした単語と、直接向けられた言葉として聞いた単語のどちらもが語彙テストの中で理解されており、直接聞いた言葉、周囲で聞いた言葉の種類に違いはありませんでした(訳注:つまり、直接聞いた言葉のほうをよく知っていたわけでもなく、その逆でもないということ)。

(訳注:ここのまとめ。ひとり言は数に含んでいないので、当然、「単数話し手」群ではすべてが子どもに向けられた言葉になります。一方、「複数話し手」群では、3割の言葉が子どもに直接向けられた言葉ではなく、周囲で話された言葉でした。)


結果:子どもに向けられた言葉

 子どもに向けられた主たる保護者の言葉すべての数(重複含む)と単語の種類(重複なし)は、「単数話し手」群と「複数話し手」群で統計学的な有意差は見られませんでした「単数」群の言葉すべての数は平均3606(SD=1712)、単語の数は444(SD=136)。「複数」群は平均3094(SD=1463)と平均399(SD=89)でした。

 また、「単数」群の子どもが主たる保護者から聞いた言葉、単語の数(上の3606と444)は、「複数」群の子どもに家族それぞれから直接、向けられた言葉の合計とも有意に違いませんでした。ちなみに「複数」群の子どもに直接向けられた言葉の数は合計4116(SD=1465)、単語の数は460(SD=90)でした。

(訳注:「3606と3094の間に違いがない」のはなんとなくわかるけれども、「3606と4116の間に違いがない」のはわからない…。だと思います。ここが標準偏差(SD)が重要になるポイントです。つまり、3606も3094も4116もあくまでも平均値であって、集団の中のそれぞれの値が平均値からどれだけ離れて、ばらついているかは標準偏差を見なければわかりません。この場合、平均値の周囲に各家庭の数値が大きくばらついている〔=これが大きな標準偏差値の示す意味〕ため、平均値としては差があるように見えても、それは意味のある違いではないということなのです)。

(訳注:ここのまとめ。主たる保護者が子どもに向けて話している言葉、単語の数は、2つのグループで差がありませんでした。子どもの周囲にいる人が子どもに向けて話している言葉、単語の数も、2つのグループで差がありませんでした。)


結果:子どもが直接聞いた言葉と耳にした周囲の言葉

 子どもに向けられた言葉に、子どもが周囲から耳にした言葉も足すと、「複数話し手」群では合計の言葉の数が6286(SD=1837)、単語の数が626(SD=121)となり、今度はどちらも「単数話し手」群の数(上の項と同じ3606と444)よりも統計学的に有意に大きくなります。

 つまり、「複数話し手」群の2歳6か月の子どもたちは、「単数話し手」群の子どもたちよりも、「周囲で話されている言葉」のぶんだけ、たくさんの言葉、単語を受け取っているということになります。


語彙の発達に与える効果を調べる

(訳注:ここから先は単純な比較ではなく、統計モデルを用い、子どもの語彙の発達に「どの要因が意味のある影響を与えているか」を検討しています。ですので、ややこしい話はすべて省き、結果だけを書きます。統計的な手法を用いると、さまざまな要因がそれぞれどれくらいの重さで結果に影響を与えるかを計算することができます。)

 まず、言葉の数(単語の重複あり)と「単数話し手」「複数話し手」の違いを統計モデルの中に入れて、3歳6か月の時の語彙数と関係する要因を調べると、2歳6か月時の「子どもに向かって話された言葉の数」が3歳6か月時の語彙数と相関(統計学的に意味のある関係)することがわかりました。話し手が1人なのか複数なのかは関係なく、2歳6か月時、「子どもに向かって話された言葉」が多い家庭の子どもほど、3歳6か月時、語彙が多かったのです。

 単語の数(重複なし)で見ても、同様の結果でした。

 次に、「複数話し手」群のデータで言葉を上の3つに分け、それぞれがどのように3歳6か月時の語彙数に影響を与えるかを見ました。上の3つとは、「主たる保護者から子どもに向けられた言葉」「主たる保護者以外から子どもに向けられた言葉」「子どもの周囲で話された言葉」の3分類です(訳注:これが一番重要なところです)。

 まず、統計モデルに「主たる保護者から子どもに向けられた言葉の数」だけを入れて、3歳6か月時の語彙数との相関(関係)を見ると、統計学的に有意な相関(関係)は得られませんでした。

 そこで、このモデルに「主たる保護者以外から子どもに向けられた言葉の数」を加えると、今度はモデル全体として3歳6か月時の語彙数と有意に相関し、特に「主たる保護者から向けられた言葉の数」が有意、「主たる保護者以外から子どもに向けられた言葉の数」も有意に近い結果でした。3歳6か月時の語彙数のばらつき全体の39%を、この2つの要因で説明できていました(前のモデルで説明できたのは18%のみ)。

 さらに、上のモデルに「子どもの周囲で話された言葉の数」を加えて要因を合計3つにすると、3歳6か月時の語彙数とは相関しなくなりました。そして、3歳6か月時のばらつき全体を説明する割合は変わらず、39%でした。

 これは言葉の数(単語の重複あり)でしたが、同じ検討を単語の数(重複なし)で行っても同じ結果でした。

(訳注:ここのまとめ。周囲が話している言葉を耳にすることは、3歳6か月時の語彙の増加に関係がない。一方、主たる保護者であれ、他の家族であれ、子どもに直接向けられた言葉は語彙の増加に関係した。)


議論(まとめ)

・家庭に複数の話し手がいる場合でも、話し手が一人の場合であっても、子どもに直接向けられる言葉の数、単語の数に(統計学的な)違いはありませんでした(訳注:けれども言葉の数、単語の数は家庭によってばらつきがあります)。一方、子どもの周囲で話される言葉、単語を考えに入れると、家庭に複数の話し手がいる場合のほうが、言葉と単語の数は増えることがわかりました。

・つまり、複数の話し手がいる家庭を検討する時には、主たる保護者が子どもに向けて話す言葉だけではなく、他の家族が子どもに向けて話す言葉も数え、検討に入れる必要があるわけです。そうしなければ、複数の話し手がいる家庭における子どもの語彙の発達の検討を誤るでしょう。

・子どもに向けられた言葉が、子どもの語彙の発達につながるという研究はいくつもありますが、この研究はそれを再現しただけでなく、子どもに向けられた言葉であれば、誰から発せられたかは関係ないという点も明らかにしました。もうひとつ、この研究から明らかになったことは、2歳6か月時の子どもの周囲で話された言葉は、3歳6か月時の語彙の増加に寄与しなかったという点です。周囲の言葉ではなく、誰が発するのであれ、子どもに向けて発せられた言葉が、3歳6か月時の語彙の発達に寄与するという結果でした。

・これまでの実験室実験の結果とは違い、自然の家庭環境では、2歳6か月はまだ周囲で話されている言葉から語彙を学ぶ用意ができていないのではないかということを、この研究は示しています。

・ただし、この研究は家庭の中の言葉と、子どもの語彙発達の関係だけを調べています。語彙の発達だけを考えると、話し手が何を指しているのかが子どもに容易にわかる状況(話し手が子どもに直接、話をしている状況)がもっとも良いであろうことは、これまでの研究からも明らかです。けれども、たとえば構文を学ぶ上では、直接の話しかけはさほど重要ではないかもしれないと示した研究結果もあります。また、子どもの周囲で話されている言葉は、子どもに合わせた内容や構文ではないので、かえってそこから言語のさまざまなこと(話の流れやユーモアなど)を学ぶことができる可能性も示唆されています。

・ですから、言葉の数だけでなく、その内容もこれから検討していくべきでしょう。

・直接、子どもに話しかけることが少なく、子どもが聞くのは主に周囲の言葉だという文化もあり、そういった文化でも言葉の獲得に遅れがないとする論文もあります。そういった文化と、この研究を行った米国文化には大きな違いがあるかもしれません。たとえば、あるマヤ文化(Tzotzil Maya)の人たちは、幼い子どもと常に身体的にくっついている(抱っこやおんぶ)ため、幼い子どもは主たる保護者と常に同じ方向やものを見ている形になります。つまり、保護者が子どもに向かって「これは〇〇だよ」と言わなくても、子どもは保護者が見ているものに注意を向けやすいのかもしれません。

・また、直接、子どもに話しかけることが少ない文化の場合、子どもは周囲の言葉から何の話をしているのかをくみとるスキルを身につけていく可能性もあるでしょう。こうした文化における言葉の学びについては、さらなる研究が必要です。


訳者のコメント

 前のニュース記事で、「周囲で話された言葉」の話が出ていたので、この論文を見つけ、訳しました。5年前の論文ですが、すでに59回、引用・参照されています。

 まず一番重要なのは、「背景」に書いてある通り、「2歳半になれば」「実験室条件であれば」子どもはまわりの言葉から新しいモノの名前を学ぶことができるようだという点です。つまり、それ以前は基本、まわりで話されている言葉から子どもが新しい言葉を学ぶことはほぼなく、子どもに向けて直接、話すことが不可欠だということになります。そして、この研究が示している通り、自然な設定の中では2歳半でも、まわりが話している言葉は語彙の増加に影響しないようなのです。

 言葉は、こちらに以前書いた通り、知性よりもまず、自分の感情や感覚をとらえ、表現するための道具です。モノの名前も大事ですが、「悲しい?」「痛いよね」「おなか、すいたのかな」「どんな気持ち?」…、こういったやりとりが子どもの言葉を増やし、子どもが自分自身をとらえ、必要な時には言葉にして表現する方法を育てていくわけです。すべてが「ヤバい」「ムカついた」では、自分をとらえ、伝え、必要な時には自分を自分で落ち着かせること(これが「自己制御」「実行機能」の働きのひとつ)はできません。

 保育園でも、まわりのおとなや子どもが話している言葉から子どもは言葉を学ぶだろうと考えられているかもしれません。残念ながら、そうではないようです。少なくとも3歳未満児の場合は。家庭であれ保育園であれ、子どもに向かって話しかけることがまず大切なのです。

 「この文化では、もともとそれほど子どもに話しかけてこなかったのではないか、それでも子どもは言葉を覚えてきた」とおっしゃる方もいます。議論(まとめ)の最後に書かれている通りです。確かにそうかもしれません。話しかけはしなかったかもしれませんが、赤ちゃんはいつも誰かしらの背中におぶわれ、抱っこされていたという点では、今のマヤ文化の人たちと同じだったかもしれません。特に、昔のおんぶは赤ちゃんの頭が高い位置にあり、おぶっているおとなと同じ方向が見える状態でしたから(今は、ずっと低い位置におぶわれ、赤ちゃんは横を向いているか上を向いているかすることが多い=この位置はおぶっているおとなの腰にも悪いのですが)。

 そして、今、保育園にいる子どもたちは…。(預け始めの泣いている時期以外は)たいてい一人でいます。おんぶも抱っこも稀です(静かにしている子どもは特に)。マヤ的な(またはこの文化の昔のような)「主たる保護者と同じ方向を見る」は、ほぼ見当たりません。

 では、議論(まとめ)にある通り、この文化の赤ちゃんたち、幼い子どもたちはまわりのおとなが話していることから、言葉を推察するスキルを得ていっているのでしょうか。かつてはそうだったのかもしれません(今さら研究はできませんが)。でも、今の保育環境の多くはそのような推察を可能にするような単純な状態ではありません。たいていは「混沌」と言ったほうが適切な環境です。保育園を離れた場でも、まわりのおとながスマホやパソコンを使って、またはスマホを眺めながら会話をしていたら、赤ちゃんや幼い子どもは何も推察できません。おとなたちが見ているのは、画面ばかりですから。…以上が、この論文から考えたところです。

 

(要訳、解説:掛札逸美。2018年6月29日)